2023WBC 侍ジャパン優勝! 舞台裏のエピソード。~栗山監督、鶴岡慎也さん、白井一幸コーチ、 岡本選手、髙橋投手、ヌートバーの母久美子さん、他から~

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侍ジャパン WBC3度目の優勝!うれしいです!!

日本に帰国してから、栗山監督をはじめ、侍ジャパンの関係者から戦いの裏に隠されたエピソードを話してくれました(^^)/

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[栗山英樹 侍JAPAN監督]からのエピソード

*メンバー入りをお願いした選手などには、栗山監督(61歳)自らが、選手に電話をかけてお願いした。

*選手一人一人に直筆に手紙を書き、宮崎キャンプの初日に部屋に置いた。ただ、選手は、誰も監督に反応していなく「何なら、選手に届いていなかったじゃなかったのかな~?と思っていました(笑)」と、2023年3月27日にTV『ひるおび』出演時に。

*ダルビッシュ投手(36歳)と栗山監督の2人で「アメリカ(マイアミ)では投げない」と決めていた(3月17日)
監督「ただ『もし投げれるようなら教えてね』と伝えていた」

大谷翔平選手(28歳)は、あまのじゃく(笑)。

*ピッチングコーチと監督のみが、大谷翔平選手が最後に投げる、というのを知っていた。他のメンバーやコーチは知らなかった。

*ダルビッシュ投手も大谷翔平選手も、二人とも 当日朝に「投げる」と決まった。

*(日本時間)3月21日に、大谷選手は、エンジェルスから登板のOKが出た。
でも、本人たちの意志の方が強かったようだ、と栗山監督。

**決勝戦でダルビッシュ投手がホームランを打たれた時、栗山監督は、無表情を装った。
なぜなら、投手は監督の顔を見るし。
実際、韓国戦でダルビッシュ投手がホームランを打たれた時、ダルビッシュ選手が「監督、すごい顔をしていましたよ。すんません。」と言われたから、と(笑)

*吉田選手、(普段しない)大谷選手は、試合中に、村上選手が調子悪くてベンチに戻った後、「こんな風になっているんだよね」とか打てるフォームになるようにアドバイスをしていた。勝つために。

*キャッチャーは3名。
決勝戦のキャッチャーは、攻撃力も足したかったので、中村悠平捕手(32歳)となった。
試合中に、「悠平(捕手)とサイン交換をしていない」と大谷投手から栗山監督は聞いていた。なので、コーチに「試合の合間に、どうにかサイン交換していて」とお願いしていた。
しかし、監督は、決勝戦でピッチャーを次々に交換し、悠平(捕手)は大変だったかと。
翔平(投手)も打席もあり。(結果的に)マウンドで2人はサイン交換を。
あの流れで、キャッチャーを変える怖さもある試合だったので、そのままいった(笑)。

*WBCに「メジャーリーガーの参加が、このままでは難しくなる。」
色んな条件(参加時期、球数、保険などなど)がありすぎ、調整も本当に難しい。裏でしっかりやらないといけない事があるので(今後も)伝えておきます。

*アジアの野球が発展していくように、僕もがんばって行きます。


*「『これが出来るかな~?出来ないかな~?』出来るか出来ないかと思った瞬間にoutなので。やるかやらないかなので。決めるのは、出来るからやるのではなく、”やると決めたらやる”」

*大谷選手と監督は、本当に大事な事は二人とも言葉にしない(笑)。

ラーズ・ヌートバー選手は、栗山監督(と、通訳の水原一平さん)と、初めてオンラインで話をした時。ヌートバー選手が小学生の時(当時9歳)に、(2006年、高校日本代表で)田中マーくんや斎藤佑樹選手(がアメリカで野球をした時)のボールボーイをしていて。その時のジャパンの帽子を、栗山監督との初面談の時にかぶっていた(笑)。こんないい子がいるんだ~って、栗山監督は、その時に思ったと。

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(2023.4.19追記)*日本時間3月16日 準々決勝 日本 vs. イタリア


ー先発 大谷翔平 投手
ー5回途中 大谷選手 2失点で降板 (この時点で、日本4点 – イタリア2点)

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栗山監督曰く
ー思った以上に、翔平も、、調子は良かったのに~、5回につかまるじゃないですか? つかまるというよりも、やっぱり、疲れて、、、たぶん、握力がなくなって、ボールをコントロールできなくなってきている、という。(ピッチャーの)かえ時の難しさはありましたし。
翔平が点を取られて、マウンドを降りて行く時に、ものすごい緊張感がありましたね、やっぱり、あそこは。(中略)あそこは、東京ラウンド5試合の肝だったな~って感じがしますね。

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—大谷投手の降板に際して、栗山監督は、初めてマウンドに行った。
吉井ピッチングコーチに「監督、行ってくださいよ~」
栗山監督「あ、そ、そう?」

と会話があり、栗山監督は、大谷投手のいるマウンドへ(初めて)行かれた、と。


翔平が「すみません」って(初めて)言って。
栗山監督「いやいや、おつかれさん」


(翔平は、自分が)そういう展開にしたことを、すごく悔しかったんでしょうね。
「監督、もう申し訳ない、と。俺が勝たせよう思って来ているのに。」勝ちたくてしょうがなかったと思うんで~。本当に素直に言った言葉だと思います。
だから、その言葉は、、、僕にとっては、重かったですね。初めて聞いた言葉なんで、試合中に
どんなにそういう展開でも謝ったりしないタイプだったんで~。
「謝っている場合ではない。この試合を勝つために、出来ることをやる」というタイプなので。本当に何か悔しかったんだろうな~って感じはしますね。

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準々決勝のイタリア戦での、大谷翔平選手のセーフティ・バントについて。
栗山監督は、バントサインは出していなかったが「翔平らしいな~」と(あの時、言ったかもしれないですね、と。)

栗山監督「僕がどうやって見ていたかというと『アウトでしょ、そのバント。下手くそだな~。』と思って。普通、ピッチャーにとって、普通に投げたら、アウトなんで。(ピッチャーが)慌てたからセーフだったんですが。『何それ~!?』みたいな。


皆みたいに”すげー”とかじゃなくて。『何、そのバント!? やるならちゃんとやってよ~』(笑)って感じですよね~。最初はね。確かに、流れは変わるんですけどー。そんなに意表をついて、誰も気にしていないんなら、『もっと普通にちゃんとやってよ』って感じですよね(笑)。」

試合が終わってから、大谷選手にそのことを「勿論、言わないですよ(笑)」と。

栗山監督「『何でもいいから、勝ちにいかなきゃいけない』という姿勢を見せてくれたのは間違いないし。でも、まあ、そこは、翔平なんで~、僕のみている(笑)。『そこももっとうまくやれるでしょ、やるなら』っていうやつで(笑)」

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[鶴岡慎也 WBCブルペンキャッチャー]からのエピソード

*WBCブルペンキャッチャーの話は、栗山監督から、直接要請を鶴岡慎也さん(41歳)は受けた。

超ー一流のピッチャーの球を取れるかどうかの不安が(最初)あった。

*WBCのブルペンキャッチャーは、梶原有司(2010年から日本ハムブルペン捕手)さん(38歳)と鶴岡さんの2名。栗山監督と共に日本ハムファイターズの関係者。

ダルビッシュ投手は「日本・アメリカの中で、鶴岡さんが1番投げやすかったキャッチャー」との事。日本ハムの時代は、ダルビッシュ投手と7年間バッテリーを組んでいた。

*ダルビッシュ投手は、向上心の塊。現在37歳だが、良いものをいっぱい取り入れていた。

*日本ハム時代のバッタリーの時。
ダルビッシュ投手は、昔は指が足りないくらいサインが多くあった。試合の中でも、いろんな変化球を変えてくるので「頼むからサイン通り投げてくれ」という感じだった。

*大谷投手(当時18歳)の初登板の時のキャッチャーが鶴岡さん(当時32歳)(2013年5月23日)。
鶴岡さんは、マネージャーから「大谷投手の初球に投げたボールは、必ずベンチに投げてくれ。くれぐれも忘れるなよ。」と、言われていた。理由は、「大谷投手の初球は、野球殿堂博物館に飾るから」との事。

*大谷選手と鶴岡さんが、WBCで初めて会った時、
大谷選手「鶴さん、何で、今、ここにいるんですか? どーせダルさんが呼んだんでしょ?」
鶴岡さん「いや、翔平、違うよ。栗山監督に要請されたんだよ。」


鶴岡さんは、
やっぱりどういう風に話しかけて良いのか分からなかった。これだけのスターになったので。後輩ですけど。少し構えていたんですけど。でも、僕も、これで、一気に距離が縮まりました、と。

*日本時間2023年3月22日のアメリカとの決勝戦。
ブルベンで、ダルビッシュ投手の球を受けていたのは、鶴岡ブルペン捕手。大谷選手の球を受けていたのは、梶原ブルペン捕手。これらは、日本ハム時代の頃からのバッテリー。

*鶴岡さんは、ブルペンコーチから「勝っていたら、8回ダルビッシュ。9回は大谷だよ」と聞いていた。

*大谷投手は、通常ブルペンでは、5-6割の力で投げて、調整していく。
しかし、決勝の時は(大谷投手は、ブルペンで、5回は投げず。6回はキャッチボール程)7回裏終了~登板まで約25分間、声を出しながら1球1球全力で投げていた。

*中村捕手は、ブルペンでも大谷投手の球を1度も取った事がなかった。初めて取るピッチャーの球は、分からないので怖い。
しかし、初めて取ったとは思えないほど落ち着いていて、キャッチャーとしての技術が素晴らしい!

*ダルビッシュ投手は、若手投手にアドバイス。
佐々木朗希投手に、スライダーのアドバイスを2022年11月にしていた。佐々木投手のスライダーは、2023年のWBCの時は、まったく違うスライダーに変わっていた。戸郷選手も随分と良いスライダーになっていた、ビックリした。やはりダルビッシュ投手は教えるのが上手いのだと思う。昔は人に教えるダルビッシュではなかった。

*栗山監督は、(何があっても)選手のせいにしない。

Lars Taylor-Tatsuji Nootbaarラーズ・ テイラー=タツジ・ ヌートバー 選手(25歳)は、誠実で優しい選手。

*清水外野守備コーチが、ヌートバーがメンバーに溶け込みやすくするために「たっちゃん」と呼ぼうと発案し、栗山監督が賛同した。

*コーチ、ブルペンキャッチャー、通訳の方々もメダルをもらった。

*大谷選手は自分の後輩にあたりますが、スーパースターです。

吉田正尚選手は「吉田ワールド、すごくて」
結構、近くで話をさせてもらう機会が多くて。東京ドームで、ロッカーが近かったので。
こういう選手が、どういう状況でも、動じずに、成績を残すんだな、と。
集合時間が過ぎても、ずーっと自分のペースで、着替えをしていたり(笑)。

*栗山監督が、アメリカ戦の前に、関係者に「アメリカに勝つために、メンバーを選んだ。それが君たちだ。僕は絶対に勝てると信じている。」と。

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[白井一幸 WBCヘッドコーチ]からのエピソード

*WBCのヘッドコーチへの依頼は、栗山監督から直接。
「お前がやってくれないと、俺は監督をやらない」と栗山監督から言われたと(笑)。

*栗山監督は、日ハム時代から、二人きりになっても、プライベートの時間でも、人の事を決して悪い事を言わない。

*栗山監督は「信じる」だけでなく「任せきる」事が出来る。そして「感謝」

*サインは、細かく用意していた。15-16のサイン。
栗山監督がサインを使ったのは、ほんの数回。
「選手がいけると思ったらいいよ」と、栗山監督から白井ヘッドコーチは言われていた。
間違っても責めない。どんな事があっても自分の責任なんだ、というのが栗山監督のスタンス。

*栗山監督と大谷選手の間には、言葉はいらない、という関係性が築けている。

*栗山監督がいないと、大谷選手の二刀流は世に出ていない。

*大谷選手と白井コーチは、日本ハム時代、4年間一緒(大谷選手が19歳~23歳)だった。
侍JAPAN合流の初日。大谷選手は、白井ヘッドコーチに挨拶に来て、「誰でしたっけ?」と。
この5年間で本当にビックになった大谷選手に対して、どうやって挨拶して良いか少し緊張していたが、この大谷選手の一言で、いっきに5年間の空白が、この言葉で距離が縮まった。

*準決勝戦からのアメリカ(マイアミ)に移った後。
白井コーチ「ちょっと時差ボケかも、わかんないんですけど~」
大谷選手「白井さん、それは、ただのボケかもわかりませんね~」

*WBC優勝後。
白井コーチ「本当にありがとう」
大谷選手「はい、白井さん。もう2度と会う事はありませんから。」

*大谷選手は、自ら、どんどん人との距離を近づけていく。そういう才能も素晴らしい。
あれだけストイックでまじめなのに、オチャメな一面もある、という所が、彼の人間的な魅力。
(日本ハム)ファイターズの選手達は、大谷選手の事を一言でいうと「悪ガキ」という(笑)。

*大谷選手は人格者であるが、固いだけではない。

*白井コーチは、選手を引退し、1997年に日本ハムの球団職員として、アメリカのヤンキースにコーチ留学した。その時に「アメリカは選手をリスペクトする、というスタンスを身に付けたのが大きい」と。

*チーム全員が「チームが世界一になるために、それぞれが何が出来るんだろう?」と、みんながやっていた。試合に出れないベンチの選手もみんな! 全員がリーダーシップを発揮しながら、役割をみんなが果たすような集団に。
これは、まず監督の存在が大きく。(また)宮崎キャンプから、ダルビッシュ投手が最初から参加し、いっきに距離を縮めフラットな関係を作った。「何を言っても大丈夫なんだ」という、安心安全空間がチームの中に出来てきた。ダルビッシュ選手の貢献度は大きい。

*(試合に)出れる人、出れない人がいる中で、誰ひとり不平不満を言う人がいなかった。

*陰のMBVは、ダルビッシュ投手。

*他のコーチも誰一人「村上宗隆(23歳)選手を外す」という声はなかった。

*栗山監督は、目先の勝利だけがあったらいい、という監督ではない。
勝つことも大事なんだけど、それと共に選手の成長も大切なんだ。外す事が1番楽なんですよ、村上選手にとっては。使い続ける事で、彼が乗り越える事で、彼の成長があるんだ。長い目で見ると、プロ野球界になるんだ、という事ですよね。

*コーチ陣も「決勝のピッチャーはどうなっていますか?」は、誰も監督に尋ねなかった。監督が1番考えて最善の方法を考えてくれるだろう、という事で。

後から聞いた話だど、ダルビッシュ投手は、当日返事が来た、と。

*決勝戦で、8回ダルビッシュ投手、9回大谷選手で投げたのは、栗山監督がお願いした訳ではなく、彼らが自ら「投げたい」と。

*決勝で登板した今永投手は、試合前に何を話していたか、まったく覚えていない、と。他の若手の投手も、相当緊張していた。

*栗山監督も、白井ヘッドコーチも最後にトラウト選手がバッターになった時「トラウトだ。勝った。物語が完結だ。」と思った。緊張もなかった。

*away感は確かにあった。でも、アメリカの球場は「野球全体を盛り上げよう!この試合を皆で盛り上げよう!」という雰囲気もあった。だから、完全away感というよりは、試合に本当にエネルギーを注げ込めるような感じがアメリカの球場にはあった。

*マイアミの球場の2割ぐらいが日本人の方がいらした(驚いた)。また、一人、何10人、何100人ぐらいの熱量で、我々に声援を送って下さった。

*栗山監督を監督として選んだのは、誰かは知らない。

*優勝後、選手の家族がフィールドにやってきている時。コーチ陣は、ヌートバー選手の母 久美子さんと写真を撮ってもらおうと思っていたが、久美子さんは選手と一緒に写真を撮って忙しくしていた(笑)(実際、撮れたのかどうかのコメントは言われていなかった)

*メキシコ戦の時も、ベンチは「いける」と思っていました。

*吉田選手は、本当にメンタルが安定している。どんな状況になっても、平常心で自分のバッティングをやりきる、という選手。そういう意味で、WBCのすごい雰囲気の中でも、本当に安定した成績を残していましたし。メジャーデビューしても、普段通りのバッティングで、今シーズン大活躍してくれると思います。

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その他

*フォー・シーム:回転4回。縦。

*アジア人は、関節が柔らかい。

*2月16日からの宮崎キャンプ。ダルビッシュ有投手が参加。

*ダルビッシュ投手は、アメリカとの決勝戦の、当日の朝に、アメリカの球団からOKが出た。(8回表に投球)
対戦しHRを放ったアメリカのバッターは、ダルビッシュと相性が悪い。よく打つ。

*村上選手。「4番」というプレッシャーよりも「大谷選手の後」というプレッシャーが大きいのでは。

*大谷選手が指さし確認している時は、審判に「よろしくね」とあいさつしている。
基本的に日本の選手は、審判に挨拶する。


*源田選手が、右手小指骨折3カ月。ケガをし、グローブを外した際は、小指が外に向いていた。
源田選手の所属チーム西武ライオンズが「源ちゃんの好きにしていいよ」と。

*「憧れるのは辞めましょう。」は、イチローが2006年の時にも同じ事を言われていた。

*吉村バッティングコーチは、アメリカ戦で「あれ、大谷選手がいない」と、思った。
→その時に、大谷選手が登板することを知った。

*村田義則コーチ(キャッチャー陣のバッテリーコーチ)は、優勝後、3人の捕手に胴上げしてもらった。

*WBCのコーチは、合計7名だった。

*WBC日本代表「侍ジャパン」のスーツは、「ユニクロ」。伸縮、軽量、速乾機能の高機能な「感動ジャケット」「感動パンツ」など。

*準決勝はアメリカだと思っていたのに、準決勝がメキシコに急遽変更になり。決勝がアメリカとなった。

*ラーズ・ヌートバー選手のインスタグラムの登録数は、大会前は6万人。大会後は107.8万人となった。
また、ヌートバー選手の人気で、彼のアメリカでの所属球団(St. Louis Cardinalsセントルイス・カージナルス)の認知度が大きくなり、(球団グッズの促進などの)球団の運営方針に変化が^^

*「侍ファイターズ」・・・WBC 侍ジャパンに関係した、日本ハムファイターズ関係者は、合計13名いた。

*大谷選手が日本での移動に着ていた黒いジャンパーは、ドイツのファッションブランドBOSSの「大谷特注ジャンパー」。世界に3着のみで非売品です。
左胸には「SO」というイニシャルが入っています。
背中には「BOSS」という文字と「Japan」と入っています。
右の袖には「16」という数字が入っています。

*(侍JAPANの)3番バッターの近藤健介選手(29歳)は、日本ハム時代、大谷翔平投手とバッテリーを組んでいた時もある。


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[岡本和真選手]から

2023年3月23日『news zero』より

*有働アナウンサー「このWBCは、自分の野球人生において、どういう大会でしたか?」


岡本和真選手(26歳)「一流選手達の中に入って、考え方であったり取り組み方であったりというのを、聞ける機会というがなかなかないので、やる気というかモチベーションというかすごく高くなりました。」

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*有働アナウンサー「(準決勝のメキシコ戦で)ホームランかな?と思ったら、相手の守備(左翼アロサレーナ選手のスーパーキャッチによって)に阻まれたというのがありましたが・・・。」


岡本選手「正直、前日のは、打った瞬間『あ、レフトフライか~』と思って。意外と飛んでて(笑)。『お~、お~、はいっ、はいっ、えっ??』 マジ、訳わからくて。僕、もう3塁手前まで行ってたんすよ。アウトやったって。」

2023年3月25日『ゴーイングスポーツ』より

Q.「(WBCで)一番仲良くなった人は?」

A. 岡本選手「あー誰なんですかねえ~?あ、やっぱ同級生の中野とは、ロッカーも近かったし~。村上も、ムネも、ロッカー近かったし~。牧もロッカー近いしー。もう皆、仲良かったです。」

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[侍JAPAN 最年少の髙橋宏斗投手]より

*日本時間 2023年3月21日に行われたメキシコとの準決勝での「ブルペン迷子」について。
ブルペンへの入り口がまったく分からず、試合も始まりそうで、むちゃくちゃ焦りました、と。

*侍JAPAN 最年少の髙橋宏斗投手(20歳)は、嵐の二宮和也さんから、事務所を通して(「シャンパンファイト」に参加できなかった髙橋投手を知ってか)シャンパンを送ってもらった。

*高橋宏斗投手「ダルビッシュさんがいなかったら優勝出来ていないと思いますし、それくらい大きな存在でした。」

*選手だけの決起集会の席や音頭取りは、くじ引きで決めた。

今永(昇太)投手(29歳)・・・WBCでは3試合に登板。決勝のアメリカ戦では先発。
今永投手のアメリカへ行く時の荷物を見た時にビックリしましたね。1泊2日の旅行へ行くんじゃないかな?ってぐらいの荷物の量で。みんな色んなものを担いで。カートに入れて、やっているんですが。今永さんだけ手持ちで終わっていた。僕は、キャリーバック2つぐらい詰めて、心配なので。

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[ラーズ・ヌートバー選手の母 久美子さん]より

*久美子さんの(3人の)子供たちは、中学生の頃ぐらいまで、久美子さんの事を怖いと思っていた、厳しかったと子供たちが言われるらしい。今は友達感覚なんだけど、と。子供たちへの教えの主軸は下記の4つのようでした。

—久美子さんの教え① あいさつをする。

ー久美子さんの教え② 目上の人を敬う。

ー久美子さんの教え③ 時間は守る。
「6時までに帰って来ないとダメだよ」と久美子さんが子供たちに。
「6時は6時だから、1秒でも遅れたらダメだよ」と教えたくて、6時10秒ぐらい前から家の前に久美子さんが立ち「10-、9-、」とカウントダウンを久美子さんがされていた(笑)。


ー久美子さんの教え④ 自分でやると決めたことは、最後までやり遂げる。

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*ヌートバー選手(25歳)の打撃フォームと、中高6年間ソフトボール部で活躍していた母久美子さんの(40年以上前の)打撃バッティングフォームが、(LINEで繋がっている当時の)チームメイトから「そっくり~!」と言われている、と。

*ヌートバー選手が小さい時、久美子さんは、裏庭でやっていた時はヌートバー選手に基礎だけは教えていた覚えはあります、と。

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羽鳥さん「最近プレイしていた時、気になる事とかはないんですか?」


久美子さん「あのね~、もう、プロになっちゃったんで。もうメジャーリーガーになっちゃったんで。私が言うことじゃないんですけど。でも、ちょっと、何か、あの~調子悪いな、っていう時は、ちょっと見ててやっぱ分かりますね。毎日見ていたので、小さい時から見てきたんで、分かりますね。」

羽鳥さん「そこは、何か言ってあげたりするのですか?」


久美子さん「いえ、もう言わないようにしています。私が言う立場じゃないんで。うんうんうん。高校ぐらいまでの時は言っていたんですが。」

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*日本代表選出時にヌートバー選手にかけた久美子さんの言葉「郷に入っては郷に従え」と。
日本に行ったら、日本の文化もあるし。だから、アメリカ式じゃなくて日本式でやりなさい。皆がやっている事を真似して、自分でかってに何かやったらダメだよ、と。

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*日本代表に送り出す時の母久美子さんの不安は?
ありました、日本語も話せないし。どうなるんだろうな~?どうやって皆に受け入れてもらえるんだろう?とあったんですけども。本人は行きたくて行きたくてしょうがなかったんで、私がどーのーこーのーじゃなくて。もう行きたくて仕方なくて。「じゃ、楽しくやっておいで!」という感じで送り出しました。

羽鳥さん「教えたりはしたんですか?ちょっとした日本語とか」
久美子さん「挨拶とか、ちょっとした事は教えたけど、あまりそんなに教えなかったです。挨拶はちゃんとしなさい、とあいさつを教えたぐらいです。」

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*ヌートバー選手が日本に到着しての久美子さんへの初電話(Facetime)は、トイレの使い方のSOS
日本の羽田空港に着いて、お手洗いのボタンが多くてどれを押したらいいのか分からず「後2分で新幹線に乗らないといけないから、早く!(ボタン)どれどれどれどれ(笑)」と。

*ヌートバー選手は「侍JPANに入れたのは(日本のパスポートを持っていた?)お母さんのお陰」とインタビューで。
そして、母久美子さんに侍JAPANでもらった金メダルを久美子さんにプレゼントした。
「盗まれてはいけない」と、ヌートバー選手のお父さんが金庫に入れて、今は保管している、と。

*ヌートバー選手は、幼い頃、いろんなスポーツをしていた。野球、サッカー、バスケットボール、アメフトなど。ヌートバー選手は、大学に行く時、アメフトからも声がかかった。
アメリカは、野球を始めたら野球だけやるというよりも、6月にシーズンが終わったら、次のスポーツに移る人が多い。結構、みなさん、色んなスポーツをやっている人が多い。

*「ゲームするんだったら、外で遊んでおいで」と久美子さん。
近所のお母さん方、ヌートバー選手の友達のお母さん方もそのような考えだったので、助かった、と。

*久美子さんは、通訳の水原一平さんの事を「一平君の存在は大きかったです。一平君、さま様です」と。
「(通訳からレストランの予約まで)何から何までやってくれていた。日本ではお母さんの役をやってくれていたな、って感じが」

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*羽鳥さん「日本代表に息子さんが呼ばれた、とはどういうお気持ちですか?」


久美子さん「最初は、本当に『何、言っている?』って感じだったんですよ。何か”噂がある”みたいな事を聞いた時は『何、寝ぼけた事言っているの? WBCだよ。侍JAPANなめちゃダメだよ』って話をしていたんです。本人も『そうだよな~そうだよな~』って言ってて。でも、結局『栗山監督とZOOMをするから』と聞いて『え、本当に選ばれちゃうのかな~!?』と思ってビックリでした。」

羽鳥さん「ZOOM面談の時、本当はお母さんは入るハズじゃなかったのに」

久美子さん「はははははは。そう、端っこで、でも聞きたかったので、何言っているか。端っこでちょっと聞いていたんですけど。『私にはふらないでね』って言っていたんですけど、『分かった分かった~』って。でも、あの子の事だから、絶対来るな、って。98%ぐらい来るな、とは思っていたんですけど、やっぱり来ましたね(笑)。『お母さんいるんで、栗山監督。じゃ、どうぞ~』って。」
(その時、久美子さんは、ノーメークだったらしい)

久美子さん「栗山監督ね、本当に素敵な方で。最初にZOOMでお話した時から、すごい、私がファンになっちゃって。私がZOOMでお話をして『あ、じゃ、失礼しま~す、ありがとうございました~』って離れた時に、まだZOOMは繋がっていて。。。家族の皆に、私が『He’s so cute!(何て栗山監督はかわいいの!)』って言ったら『ママ、まだ繋がっているよ』って言われちゃって、『あー!!!』って思って。でも、もしかしたら、聞こえていなかったかもしれないな、とも思って、後で(通訳の水原)一平君に聞いたら『いや、聞こえていました、ちゃんと』って(笑)。ほんとに失礼しましたー」

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久美子さんにとって、栗山監督のキュートな所は?
監督監督していないんですよ。皆のお父さん、みたいな感じで、皆の事をすごく思ってくれる、みたいなのが、どんどん伝わってきて。本当に素敵な監督で。

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*ありがとうございます。本当に、日本のみなさん、(ヌートバー選手を)応援していただいて、本当にありがたいと思います、との事。


羽鳥さん「また、もしかしたら、お母様へのお話、お願いしちゃうってことも、、この番組を含めて、色んな番組が、今後出て来るかもしれませんけれど、大丈夫ですか?」

久美子さん「もう、もう、もう、もう、もういいです(笑)!もう!お母さん(出演に)出過ぎだらかもういいです(笑)。」

羽鳥さん「一応、チャレンジはしますんで、よろしくお願いします。」

久美子さん「あ、チャレンジですか? もうねえ、私も、言ったんですけど、誰かに言ったのかな?テレ朝さんの方にも言ったんですけども。『引退します(笑)』とかって、山口百恵ちゃんの、あの・・・。(中略) マイクを置いて引退です。デビューもしていないのに引退しました~、って(笑) 普通のお母さんに戻ります(笑)」

また、新しいエピソードを聞いたら、アップしていきますね(^^)/

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